フジミ1/24 ピアッツァXE前期型(JR130)→ピアッツァネロ(JR120)後期?最終?


フジミの1/24ピアッツァXE前期型(JR130)です。
古いキットで実車が知名度の割りに不人気だったせいか長らく忘れられていたキットです。数年前に117クーペやべレットが新規に発売されたついでに再生産されたもののようです。


パーツ構成。モーターライズの時代のキットですが板シャーシではなく、専用のシャーシとなっています。しかしホイールに歯車があり板シャーシより前時代的で、実車のイメージにあわない極太のタイヤや内装側面のパーツが省略されているなどどうにも詰めの甘いキットです。


ボディはそんなに形は悪くないかと思います。テールランプの間の穴は前期型の特徴的なガーニッシュ(実車では鉄板の上にパネルが貼ってあるだけ)の穴で、まるで小窓のようです。窓ガラスのパーツは何故か運転席側だけ開いています。


仮組み。車高はこれまた実車のイメージとは違う車高で、上げるための改造も簡単にはいかない困った状態。フロントの車軸位置も後寄り。ボディはバンパーがどうにもボリューム不足。


シャーシ下面。リヤオーバーハング下のボリューム不足は板シャーシほどではありませんが、少し増してやりたいところ。他は割り切ってしまうことにします。


今回はこれを後期型にする事にします。グレードはよくわからないので後期のJR120(2リッターSOHCターボ)って事で。


ホイールは近い形のBBSをR31から奪い取って使用。ピアッツァのBBSホイールはリムにリベットがなく、以前作ったフジミのハチロクレビン2ドアに付けてるやつがまんまその形なのですが、アレはコレには付かないので…


前後バンパーを延長し特徴的な前後のスポイラーも作ります。


しばらくやる気が出ずに資料探しをしていると前後バンパーの長さが足りないのに気付いたので更に延長、Fバンパー上とRバンパー下も延長。


リヤオーバーハング下の燃料タンクとマフラーも作りました。あとマッドガードも。


フロントグリルの区分は前期と後期ではなく前期後期と末期であるようで、キットのグリルはそもそも斜めにひん曲がっているので作り直します。そして白で全塗装。


グリルを作り直したらキット付属のヘッドライトが付かなくなったのでならばいっそ角目4灯のピアッツァネロにしてしまいました。ライトはプラ板の箱組みで前回の240RSより小さいですが2度目ともなれば慣れたもの。他パーツを取り付け塗装。


スミ入れをして完成。


今は乗用車生産から撤退しているいすゞがまだ魅力的なスタイルの乗用車を世に送り出していた時代。他社に比べその開発や販売状況は苦境にあったものの乗用セダンではオーソドックスで頑丈かつ個性的なスタイルを持ちマニアックな人気があり、それは特に趣味性の高いクーペ型では顕著だったのがいすゞというメーカーの車でした。


スタイリングに於いては国産車の中でも名車の誉れ高かったもののさすがに10年以上を経てしまい陳腐化していた117クーペの後継として、1981年に登場したのがピアッツァです。


ピアッツァのその特徴的なスタイリングはジウジアーロの手によるもの。そのボディを纏う中身はいすゞらしくオーソドックスであり、Fダブルウィッシュボーン/R3リンクコイルリジッドのFR駆動。エンジンは1.9リッターDOHCとSOHCのG200で(JR130)、後に2リッターSOHCターボの4ZC1(JR120)が追加されました。


ピアッツァの車体サイズは同時代のセリカ(A60系)に近いものの性格としてはラグジュアリーなグランドツアラーであり、他社がやれDOHCだターボだとパワーウォーズの真っ最中にあっては地味な内容の車でした。本来のライバルはソアラの2リッター車あたりではないかと思われ、車両価格も最上級グレードのXEが250万と、セリカXXやソアラの2リッター、スカイラインRSターボなどが230万ほどであった事を考えると内容の割りに随分と割高な車という印象でした。


1983年に特徴的なフェンダミラーがドアミラーに変更され、84年には180psを発揮するターボが追加。ライバルに比して軽量なボディと相まってこのターボによる加速力は国産車の中でもかなりのものだったようです。


一方でGM(ゼネラルモータース)と提携関係にあったいすゞは海外ブランドにも車種を供出しており、海外ではピアッツァはいすゞインパルスとして売られる一方、国内の外車ディーラーであるヤナセでもアメ車やドイツ車に混じってピアッツァネロとして売られていました。ネロ(NERO)はイタリア語で黒を意味し、ピアッツァネロのイメージカラーは黒で、これに金または銀のストライプがあしらわれていました。


1985年にはドイツのチューニングメーカーであるイルムシャーによるチューンがなされた仕様が追加されました。前後にスポイラーが装着され少し雰囲気が変わります。1987年にマイナーチェンジしてテールランプが変わり、1988年にはロータスのチューンを施されたハンドリングバイロータスが追加、リヤサス形式が5リンクになり走りがかなり洗練されたものになりました。


今回作った仕様はかなりチグハグで、テールランプは88年〜のハンドリングバイロータスのものですがハンドリングバイロータス仕様が追加される数ヶ月前にネロのヘッドライトがセミリトラの4灯から固定薄型4灯に変更されグリルも2本バーに変わっているので、87年ネロに末期テールという仕様という事になります。だってネロ末期のフロントマスクは何かアスカみたいなんだもん!


その後散発的に特別仕様を出しつつネロは90年、ピアッツァは91年まで生産されました。末期はアルシオーネやスタリオンと似た扱いの車になっていました。


1991年には2代目となるJT221ピアッツァ&ピアッツァネロが登場しますがわずか2年後の1993年にはいすゞは乗用車自主生産から撤退しピアッツァも生産を終了してしまいます。


ピアッツァ実車は割りと壊れる部類の車のようで、80年代初頭の車らしく錆が出やすく電装系もよく壊れ、しかもパーツが無いという困った車のようです。


私はいすゞ車は運転した事がありません。母方の実家にPFジェミニがあった以外は中古車屋でPAネロをちょっと触っただけ。免許取った頃にはもうJT191ジェミニでさえ消えかけでしたので…


内装。ドア内張りも省略しっぱなしな上に黒一色の手抜き仕様。実車の内装はグレーバイオレットっぽい地にライトグレーのツートーン。ステアリングの左右に特徴的なサテライトスイッチがあり、ピアッツァに慣れきった人は他の車を運転できないとも言われています。