ピットロード1/700 駆逐艦 疾風

ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの駆逐艦疾風(はやて)です。


ハヤテ?四式戦闘機?
疾風は睦月型駆逐艦の前型である神風型駆逐艦の7番艦。初代島風など快速を誇った峯風型駆逐艦の改良型で、第1次世界大戦後の戦間期における主力駆逐艦として27隻の建造が計画されましたが、ワシントン海軍軍縮条約により9隻で打ち切られました。艦のディテールには同時期に建造された5500t型軽巡洋艦と通ずる点の多い艦型です。
疾風は1925年に竣工、当初は固有の名称が無く、第十三号駆逐艦と呼ばれていました。1928年に「疾風」の名が与えられ、同型の追風(おいて)・朝凪(あさなぎ)・夕凪(ゆうなぎ)と共に第29駆逐隊を編成します。
太平洋戦争の開幕戦である真珠湾攻撃と並行してウェーク島攻略が行われ、疾風もこれに参加します。しかし他の参加艦艇、戦闘艦は第6水雷戦隊の軽巡夕張、駆逐艦追風・睦月・如月・弥生・望月と、第18戦隊の軽巡天龍・龍田といった旧式艦ばかり。1941年12月8日の開戦とともに陸攻などの空爆により防衛側の戦闘機などを破壊、10日には上陸開始となりますが、波浪のため揚陸部隊の発進にもたつき、11日には上陸を一旦延期する事にして艦砲射撃に切り替え、夕張以下戦闘艦の砲撃が開始されるものの残存していた防衛側の戦闘機が襲来、ウィルクス島沖で砲撃を行っていた疾風は砲台からの射撃を受け200mもの水柱を上げて爆沈してしまいます。そう、「疾風」は太平洋戦争における最初の犠牲となった艦なのです・・・
(蛇足:疾風爆沈の1時間半ほど後には如月も戦闘機の爆撃により撃沈され、攻略部隊は撤退。ウェーク島攻略戦は失敗に終わります。21日には真珠湾帰りの空母蒼龍・飛龍、重巡6隻などの増援を受け再度ウェーク島の攻略を行いますが、こちらは結果として成功するものの上陸部隊に多くの犠牲を出し、艦載機のエースパイロットを失うなど少なくない損害を出す事となります。)



箱はいつものピットロードの駆逐艦キットらしく大きめ。



中身はややちんまりしています。





説明書。難しい所はありませんが、「各自資料を参照して・・・」というあたりに程よい厳しさがあります。ググってもあまり情報がすんなり出てきません・・・



カラーの塗装指示が付属。ただやはり別途資料を要求する傾向にあります。



主要パーツ群。立ててある方のランナーは静模のディテールアップパーツのような使い方で使用するパーツは半分程度。メインは手前の寝かせてあるランナーの方。デカールは追風・朝凪・夕凪の分も付属。



全部32軍艦色2でスプレー塗装してやりましたが・・・



湿度の高い時に吹いたためか、離型剤が残っていたのか所々デコボコになってしまいました。幸い酷い状態のパーツは使用しないパーツだったので事なきを得るのですが、これは教訓になりました・・・(スプレーやエアブラシを使う時はなるべく雨天時など高湿な環境は避ける、離型剤(国産品では問題になる程のものはめったにありませんが、中国製では残っているのが普通です)は予めランナーを中性洗剤で洗うなどしておく、等)



先に全部吹き付けてしまったのでリノリウム色は後になります。面相筆でチマチマと塗りました。



甲板上に次々とパーツを配置してゆきます。難しい所もなく非常に組みやすいです。艦橋付近は立体的なので組んでいて楽しく、作業がはかどります。



デカールを貼ってから艦底色を塗ってないのに気付き、仕方なくデカールの上にマスキングテープを貼ってしまうのですが、当たり前のように名前デカールがテープにもっていかれてしまいました・・・なので「13」のデカールを代わりに貼っています。疾風は時期によって表記がまちまちで、艦首付近に13が書かれていたり、開戦時(すなわち最終時・・・)にはやはり全部消されていたり。





ウォッシングをして完成。





小さいながらモールドも詳細でカッチリしていて見栄えが良いです。





見た目の特徴の多い艦です。改峯風型と見分けるのは難しいですが・・・



主砲は45口径三年式12cm単装砲。砲重量3tの軽量な砲に後面が開いた防盾を取り付けています。



1番砲塔の直後は1段下がってウェルデッキとなっており、十年式53cm連装魚雷発射管があります。その後ろには艦橋そそり立っていますが、この配置は艦首で跳ね上げられ艦首甲板を滑って来た海水をウェルデッキで処理し、艦橋に直接当てないようにするための形。艦橋の後ろはまだ三脚を成す以前の1本マスト、煙突、2番砲塔、煙突という並び。



2番煙突の後方には連装魚雷発射管が2基並んでいます。



更にその後方には後部マストの前後に3・4番砲塔が架台に載せられて配置されています。この辺りはどことなく天龍型軽巡洋艦と似ています。



艦尾には爆雷投下軌条が2基、その直前には旧式の「K砲」である八一式爆雷投射機と装填台が2セット配置されています。



駆逐艦の多くは魚雷発射管の周辺から左舷側にはレールが敷かれていますが、これは港には左舷側を接舷させ、くの字状のクレーン(大抵レールの周辺や艦尾付近に置かれています)で魚雷を積み込み、レール上を移動して魚雷発射管や予備弾薬庫へと運び込まれます。神風型では3番魚雷発射管の左側から艦橋横のトンネルをくぐって艦橋の前をグルリと周り艦橋の右の辺りまでレールが敷かれています。



対空兵装としては完全に不足ながらも、艦橋の左右に2挺の留式7.7mm機銃が置かれています。この機銃はイギリスのルイス機関銃を国産化したもので、九二式七粍七機銃とも呼ばれます。神風型の前期型では三年式6.5mm機銃だったものから置き換えられています。



艦橋はオープントップの上に幌屋根を被せたもの。マトモな屋根が付くのは次の睦月型の改装時(新造時からとなると吹雪型)からになります。



次型である睦月型駆逐艦の長月と。



艦首はちょうど5500t型軽巡洋艦においてスプーン型からダブルカーブ型に変わったのと時期が重なり、神風型ではスプーン型、睦月型ではダブルカーブ型となっています。スプーン型の艦首形状は第一次大戦後の戦間期において帝国海軍が想定した「機雷戦」に対応したものとされています。機雷戦とはワイヤーで機雷を数珠つなぎにして敵艦の足止めをするもののようで、スプーン型の艦首によってこのワイヤーを乗り越えるつもりであったようです。結局はあまり効果的ではないとして機雷戦は廃れ、スプーン型艦首自体も波飛沫を上へ跳ね上げやすいため上端に返しの付いた形状であるダブルカーブ型に切り替わってゆきました。



睦月型では新造時には神風型同様の艦橋でしたがその後の改装により艦橋は丸みを帯びた洗練された形状になり、屋根もマトモなものが取り付けられました。長月では機銃の増備がされており、そのための架台が艦首の前に取り付けられてややシルエットが変化しています。



神風型では2連装の魚雷発射管が睦月型では3連装となりました。1基減っていますが同時発射数は6発を維持しています。



3番砲塔から後ろはほぼ踏襲されています。



ほぼ同じ全長の松型駆逐艦と。松型は設計がずっと新しいため艦様は大きく異なります。



ストレスなく組み立てられ、仕上がりも上々な良いキットです。睦月型より古い駆逐艦に興味が出たら組んでみると面白いでしょう。旧型の駆逐艦のキットは神風型のほかに更に前型の峯風型と、同時期の二等駆逐艦である若竹型、樅(もみ)型などがあります。