ピットロード1/700 駆逐艦 響

ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの駆逐艦響1945です。

響は吹雪型(特型)22番艦、又は暁型(特V型)の2番艦。ワシントン条約で大型艦の建造を止められた帝国海軍が条約の制約を受けない小型艦艇の拡充を図るべく、まずは睦月型駆逐艦の建造を開始しますが更なる性能向上を目指し、当時先進的な艦であった軽巡洋艦・夕張の手法を盛り込んで建造されたのが吹雪型駆逐艦でした。
吹雪型はまず10隻が建造され(特T)、10番艦の浦波で改良が施され(改T)、次の綾波から本格的に改良型として10隻が建造(綾波型・特U)、更に最終型として暁から4隻の改良型(暁型・特V型)が建造されました。しかしロンドン海軍軍縮会議によって吹雪型が属する排水量1500t以上の駆逐艦は合計排水量の16%とされ、事実上建造を止められてしまう事になります。これは列強が吹雪型駆逐艦の性能と数に危機感を持っていた表れでしょう。帝国海軍はこの後排水量を表面上1500t未満(実際は1500tを超えていたようです)に抑えた初春型の建造を行う事となります。
響は1933年に竣工し、同じ暁型の4艦と共に第6駆逐隊に属し太平洋戦争においても各地を転戦しました。しかしその経緯は損傷の修理により大きな作戦の不参加というもので、まず1942年キスカ島攻略直後に爆撃と波浪により艦首が折れ曲がる損傷を受け、修理のためガダルカナル島の戦いには不参加。次は1944年に輸送船団の護衛として台湾の高雄を出撃直後に触雷、また艦首が折れ曲がり修理のためレイテ沖海戦には不参加。3度目は1945年、戦艦大和等と共に沖縄特攻に向かう途中に触雷して船体がガタガタになり呉へ帰投。その後は新潟の岸壁沿いで防空砲台として過ごし終戦を迎えます。吹雪型駆逐艦で終戦まで生き残った艦は響の他は綾波型の潮だけでした。
戦後は復員船として従事し、その任を終えると1947年に賠償艦としてソビエト連邦へ引き渡され「ヴェールヌイ」と名を変えてソ連海軍太平洋艦隊に属しました。これは短期間であり、1948年には練習艦「デカブリスト」となり1953年に退役、1970年代に標的艦としてウラジオストク沖に沈みました。



箱は前回の朝潮と同じサイズ。



箱裏のカラー塗装指示。単装機銃の配置図にもなっています。



フルハル・ウォーターライン選択のキットなので水面下の船体のパーツが含まれ、その分ややボリュームが多めになっています。





説明書は2枚あり1枚目は両面印刷で最終仕様、2枚目は片側のみ印刷で竣工時の装備に組む説明。読む要素の中にヴェールヌイではなく「プリツキー」となっていますが、この名で認識されていた時期があったようです。ただしググってもいつ?どういう経緯でヴェールヌイに?なのかがよくわかりません・・・



2枚目。キットには特T型のパーツも入っています。



パーツ全図。ランナー4枚とデカール。バラストは付属しません。Bのランナー(砲塔や機銃などの武装パーツが主)は朝潮や不知火にも入っていたものと同じかも。



モールドはいつものピットロードのクオリティですが船体は左右分割されており船体側面のモールドは深く入っています。といっても舷窓の穴が深くなっただけのようにも感じます・・・



デカールは暁のものも付属。といっても太平洋戦争中は側面の名前や戦隊番号は消されていたので、何も貼らず「これは暁だ!」って言えば暁になります。(暁は1942年11月没なので装備はやや異なります)



まずは船体から。船体は左右分割されていますが、艦底は側面と一体で真ん中で分割されており、洋上モデルに組むと底面が見苦しいかもしれません。甲板は船首の1段高くなっている部分と、それ以外で分割されています。1段高い方との間は筆が入りづらいので裏側や奥まる部分は先に軽く塗っておく方が良いかもしれません。



若干のバリや意味不明だダボが生えてて合わせはあまりよくありませんが、軽くヤスれば十分。



フルハル仕様にするなら更に艦底パーツを貼り合わせます。スクリュー周りは先に組んでしまいましたが、やや筆が入りづらい部分があるのでスクリューの足と舵だけを取り付けて艦底色で塗り、その後で塗装したスクリューを取り付けてレタッチした方がスマートかも。



リノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。



軍艦色2と艦底色も塗りました。



艤装を取り付けてゆきます。左右合わせのパーツは合わせ目に不要なダボが片側に短く生えている傾向にあるので貼り合わせる前に一旦ヤスってやる必要があります。他、後部煙突右のトラス状のパーツがうまく取りつかなかったり、2番魚雷発射管の後ろに立つ機銃台の中央の足がその下に取りつくパーツと辻褄が合わなかったりするので仮組みをしながら必要に応じて切り詰めたり、合わせを調整しながら作業します。やや面倒。



説明書通り最終仕様として取り付けるパーツは取り付けました。



箱裏を見ながら単装機銃を置いてゆきます。キットに付属する14挺全て使用します。予備は無いので注意。





残りの塗装とレタッチをし、デカールを貼り、エナメルジャーマングレーで大雑把にウォッシングして完成。艦首の国旗は瞬着で強化したらパリッと割れちゃいました・・・





タミヤの吹雪と比べると甲板上にはよく盛り付けられていて密度感が高いです。





目線を下して観察。フルハルモデルは何かこう宇宙戦艦みたいな印象があります。まだ2つしか作ってないせいか見慣れていない感じ。



各部を観察。主砲は50口径三年式12.7cm連装砲。特T型に搭載されていた形状が異なるA砲塔を特U型から高角対応(40度→75度)としたB砲塔に替えて搭載していました。しかしこのB砲塔は重量が重く、また装填時に平射位置へ戻す必要があり連射速度が遅くあまり実用的ではありませんでした。友鶴事件の後の性能改善改修によりC砲塔に近い形状の砲塔に交換されました。キットでは朝潮型や陽炎型のC砲塔と同じパーツです。



艦中部。艦橋はこれよりも段が多い形状でしたが友鶴事件の後に軽量化のためやや小型化されました。戦中後期にマストの途中に台が取り付けられ、その上に22号電探が置かれています。特V型からは機関を大出力にした代わりに数を減らしたため1番煙突が細くなりました。魚雷発射管は十二年式61cm三連装魚雷発射管で、特U型から後付され始めた砲室が特V型から標準装備となっています。



艦後半。後部マストにはこれも戦中後期に追加された13号電探が装備されています。その直後には2番砲塔がありましたがキットではタンデム配置で2基の九六式25mm3連装機銃が代わりに置かれています。



甲板上にモールドで表現されているためやや目立ちませんが3番砲塔の後方に三式爆雷投射機(K砲)と装填台があります。



再び艦中部。2・3番魚雷発射管の間に建てられている機銃台の上には2基の九六式25mm3連装機銃が置かれています。対空兵装はこのように山盛りになっていますが竣工時は13mm単装機銃がたった2挺しか装備されていませんでした。



艦前半右舷側。艦橋の前には機銃台が増設され、その上に九六式25mm連装機銃が置かれています。



タミヤの吹雪(特T型)と。手前が吹雪。同じ特型でもかなり違って見えます。



艦中部のアップ。煙突の左右にある吸気口が特T型では換気扇のダクトのような形状ですが、特U型からは煙突付け根にサルノコシカケというか、キノコの傘のような形状に変わっています。前述のように特V型では1番煙突が細くなっているので、ここが見分けるポイントでしょう。他、吹雪では魚雷発射管の砲室がまだ無く、剥き出しになっています。ここは太平洋戦争開戦時には特型だけで無く睦月型などにも砲室が追加されていました。



同じフルハルモデル、陽炎型駆逐艦の不知火と。この不知火はディテールアップパーツが付属する豪華版だったので砲塔などは違うパーツを使用しています。



駆逐艦一同勢揃い。夕雲型と島風がまだありませんが・・・



ちょっと油断があったのか、今回は作業時間はスピーディだったもののやや手こずったかもしれません。初心者がいきなり組むには厳しいですが、2〜3個組んで要領を得たなら十分何とかなるでしょう。恐れる事はありません。
昔に較べ高くなったとはいえクオリティの平均は確実に大幅アップしています。やはり駆逐艦はコレクションしてナンボではないでしょうか?