ピットロード1/700 駆逐艦 漣

ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの駆逐艦漣(さざなみ)です。

以前に朧(おぼろ)〜潮(うしお)までの4隻、いわゆる「特UA」は絶版だと聞いていたのですが、その後amazonを物色していたら普通に売られていたので早速買ってみました。そして積む事半年ほど、ようやく順番が廻ってきた次第。

漣(さざなみ)は特型駆逐艦の19番艦、特U型(綾波型)の9番艦です。特U型はT型の12.7cm連装砲塔を対空射撃対応型となるB型砲塔に換装、艦橋を大型化、煙突の左右に置かれていた機関の吸気口を後方を向いたダクト型から、煙突の付け根の周囲に広がるキノコ型に変更される等の変更がなされました。また17番艦「朧」から「曙(あけぼの)」「漣」「潮」)の4艦は煙突の高さが低く、特UA型と分類される場合があります。
漣は1932年5月19日に就役後は第10駆逐隊に属しますが1939年に解隊後、同型4隻による第7駆逐隊を編成、太平洋戦争では真珠湾攻撃と並行して行われたミッドウェー島砲撃を潮と共に行い、その後は南へ北へと各地を転戦します。そして1944年1月、曙と共にラバウルで輸送護衛任務に就いていたところ米潜水艦3隻によるウルフパックの襲撃を受け、その内の「アルバコア」の雷撃を受け沈没します。この米潜水艦「アルバコア」は軽巡洋艦「天龍」、駆逐艦「大潮」を撃沈してきており、漣の後にも空母「大鳳」も撃沈する事になります。



箱は最近のピットロードの駆逐艦キットでは青い共通の箱にラベルシールが貼られているもの。



ディテールアップパーツである「NEシリーズ」が同梱されているので結構なボリューム。



塗装指示。同型艦の潮とコンパチになっています。





説明書。読む要素部分がなぜか敷波の記述になっています。説明書では1944年仕様とされていますが、その割にはもうちょっと前の年代の装備のような気がします。



主要パーツ群。デカールこそ漣と潮のみですが、ピットロードの特型はランナーに付いてるパーツをみる感じでは特型のどの型どの年代にも組めるようになっているようなので、資料を用意しさえすればかなり自由度の高いキットといえるでしょう。



NEシリーズはNE07(特型駆逐艦用?)が2セット付属。



早速製作開始。左右分割された船体と、艦首甲板、それ以後の甲板にわかれています。



仮組み。



まずは船体左右を接着し、甲板上の砲塔や魚雷発射管の取りつく位置に穴を開けておきます。NEパーツの砲塔などの下面のダボは細いので上写真のように大穴ではなく、窪みの中央に1mmドリルで開ければ十分ですが、うまく中央に開けられなかったので・・・



船体後半の甲板を接着。左右のスキマを埋めるべく輪ゴムで巻いています。艦底の面には大型艦用のバラストを当てており、底面の水平も出しておきます。



艦首甲板の後端の辺りは奥まった部分があるので塗装してから取り付けます。



艦首甲板を接着。



艦底パーツを接着して輪ゴムで縛り直し。艦底パーツを取り付けなければウォーターラインモデルにできます。



リノリウム色として43ウッドブラウン、それ以外を32軍艦色2、艦底部分を29艦底色で塗装。



パーツを乗せてゆきます。小パーツの取り付けがピンを穴に挿すような取り付けではなく、台の上に置くように接着する取り付けなのでこういうところは初心者泣かせな部分かもしれませんが、取り付けない場合に穴を埋める必要が無いため、むしろ自由度が高いと言えるでしょうか。



パーツを載せ終えたところ。ボートダビットと内火艇の取り付けがやや手こずる程度で、難易度は大した事ありません。NEパーツの連装機銃も小さいのでこれもやや手こずるかも。



戦中仕様であればデカールは旗だけで十分ですが、コレクションとしては船体左右と艦尾の記名をあえて貼るのも良いでしょう。このあたりはお好みで。





エナメルのフラットブラック、ジャーマングレー、フラットブラウンでウォッシングし、最後に旗を取り付けて完成。





1944という割には艦橋前の連装機銃くらいしか増備されていません。





フルハルモデルなので横からの見た目も立派です。台座は艦底と接する面の中央部を少し削らないと台座の上で船体が安定しません。



各部を観察。主砲塔は50口径三年式12.7cm連装砲塔(B型砲塔)。T型のA型砲塔を左右の砲身を別々に動かせるようにし、仰角を40度から75度に引き上げ、対空射撃に対応させたものです。ただし照準装置が対空に十分対応しておらず、また装填時には平射位置に戻さなくてはならないため連射が出来ずあまり実用的ではなかったため白露型以降に装備されるC型砲塔では仰角が55度までに戻されています。また砲室重量もA型砲塔の25.4tに対し32tと重く、重心が高い事による復元性の悪化の原因にもなっていました。
砲塔の後方、艦橋の前には九六式25mm連装機銃が増備されています。



前後の煙突の間と、2番煙突の後方とで3基の十二年式61cm三連装魚雷発射管が置かれています。この魚雷発射管は元々は剥き出しでしたが後に3mm鋼板による砲室が装備され、特V型からは標準装備となりました。



艦後方。背負い式に2番砲塔と3番砲塔が並んでいます。



右舷に回り艦尾。3番砲塔の後方にはY砲(九三式爆雷投射機)と装填台が置かれ、更にその後方には爆雷投下軌条があります。



対空兵装は竣工時には毘式12mm機銃(ビッカース12.7mm機関銃)が2番煙突の前に2挺置かれていましたが後に保式13mm連装機銃2基に換装されています。



マスト上にはまだ電探は装備されていません。



同ピットロードの響(ひびき)と。



響は特V型であり数々の改良がなされ外観も多少違いますが、起工は同じ日(1930年2月21日)されており、綾波型では一番後に竣工した漣に対し、響は特型駆逐艦の中で最後に竣工した艦です。



特U型から特V型に至って機関の改良により缶が1基減ったため1番煙突が細くなっているのが特V型の特徴ですが、漣の属する特UA型は他の特U型に対し煙突が若干低く、響の2番煙突と比較してもほんの少し低いのが確認でき・・・るかな?この他にも艦橋が肥大化の途上にあり、漣と響だけを比べても若干大きくなっています。
漣は1944年初頭の戦没なので兵装はまだ盛り付けられる前の状態ですが、響はおそらく戦争末期、坊の岬沖海戦(1945年4月)の頃の状態でしょうか。



漣はまだ2番砲塔が残っていますが、響は撤去されて3連装機銃2基に置き換わっています。2番・3番魚雷発射管の間にも3連装機銃が架台に乗せて2基増設されているのが確認できます。1944年後半のレイテ沖海戦前に触雷により艦首を大きく損傷した響はレイテの後空襲により損傷した潮の1番砲塔などを利用して1945年初頭に修理がされており、潮は大破状態で終戦を迎えます。



特型駆逐艦手前からT型、U型、UA型、V型。



タイプ違いでタミヤとピットロードの特型駆逐艦を2隻ずつ組みましたが、初心者でも安心の組みやすさを誇るタミヤのものもさすがに陳腐化が進んでいて、やはり組み上がった後の状態を比べてしまうと差を感じてしまいます。一方ピットロードのものはやや難易度は高いものの、あくまでタミヤと比べてであり、フジミの陽炎型などに較べたらぬるい部類でしょう。またバリエーションキットも多く、特型駆逐艦の中でもあの艦が欲しい、といったときにもキッチリ目的の艦が組める、痒いところに手が届く商品展開もありがたいものです。