ピットロード1/700 駆逐艦 夕風

ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの駆逐艦夕風です。


夕風?夕雲でも夕立でも夕張でもなく夕風(ゆうかぜ)。峯風型です。

夕風は峯風型駆逐艦の10番艦。峯風型駆逐艦はイギリスの駆逐艦の模倣であった前型までからとはうって変わって日本独自の設計による駆逐艦であり、1番艦である峯風の竣工が1920年と古いものの、戦間期の日本の駆逐艦として続く神風型・睦月型のベースともなっています。最大速力39ノットと高速であり、中でも4番艦の「島風」は40.7ノットを記録し特に快速を誇っていました(後に高速駆逐艦として建造された丙型駆逐艦にはこの「島風」の名が継承され、先代を凌ぐ40.9ノットを記録します)。
夕風は1921年8月に竣工し、同型艦の島風・太刀風(たちかぜ)と共に第三駆逐隊を編成します。太平洋戦争の直前頃には老朽化により予備艦として係留されておりこのまま退役を待つばかりでしたが、少しでも戦力が必要だった事、まだ30ノット以上の速力が出せた事から現役復帰し、太平洋戦争においては主に空母「鳳翔」に随伴し、鳳翔が内海にて練習艦として従事するようになると夕風もこれに伴って対潜哨戒や着艦訓練の支援(トンボ釣り)に従事します。1945年春頃になり鳳翔が現役を退いて呉に留まると夕風は別府湾(大分県)に異動となり、そこで空母「海鷹」と共に訓練に従事します。そして同年7月24日の空襲は何とか凌ぐものの、室津港(山口県)へ退避しようとしたところ海鷹が触雷し航行不能となったため別府湾内の日出港まで夕風が排水量12〜13倍もある海鷹を曳航し、これに成功。結局28日には空襲により海鷹は大破するものの、曳航により大半の人員が退避できたため犠牲者は20人程に抑えられました。夕風は別府湾にて無傷で終戦を迎え、復員船として従事した後1947年に賠償艦としてシンガポールに回航され、イギリスへ引き渡し後、現地で解体されました。



外箱はウォーターラインシリーズの軽巡くらいの大柄な箱。最近のピットロードの外箱は青い共通の箱にラベルシールを貼っています。



開封。外箱は大きいですが中身はちんまりしています。



同封の塗装指示。同型艦の名前が列挙してあったりはせず、ちょっと寂しい。





説明書。読む要素が少ない・・・説明書では夕風の1944年9月仕様と、同型艦である汐風(しおかぜ)の1945年1月仕様の組み立て図が書かれています。竣工時〜太平洋戦争中盤頃までの仕様で組む場合は別途資料が必要。また、甲板上のモールドを削って真っ平らにしなければならない部分もあり、ちょっと初心者の方には厳しいかも。



パーツ全図。ランナー2枚とデカール1枚。



名前デカールは7番艦〜12番艦までの羽風(はかぜ)・秋風(あきかぜ)汐風(しおかぜ)・夕風(ゆうかぜ)・太刀風(たちかぜ)・帆風(ほかぜ)のものが付属。駆逐隊番号も付属しますが戦間期のうちに解隊されているし装備も大戦末期なので旗以外は使わないのが本来なのかも。お好みで。



モールドはピットロードらしくシャキッとしています。



それでは製作開始。船体の構成は船体と艦底と艦首甲板の3パーツ。



まずは説明書通り魚雷発射管の基部を2つ、魚雷格納庫や艦尾の機雷投下軌条などを削ります。まずタミヤの薄刃ニッパーなどで大雑把に切り取り、リューターで面を平らにしました。



舷外電路が箱絵に見られるので伸ばしランナーを貼って形成。ついでに魚雷発射管の基部を削った時に巻き添えになったリノリウム押さえのモールドも伸ばしランナーで補修。



リノリウム色を43ウッドブラウンで、他を32軍艦色2で塗装。艦首甲板はウェルデッキの部分など奥まっている部分を塗ってから接着した方がスマートか。



パーツを配置してゆきます。面倒なのはモールドを削る点だけで、他はサクサク組めます。



パーツを乗せ終えたところ。艦尾は爆雷装備が山盛りですが、印も何もないので設置場所は塗装指示書を参考に。



艦名デカール(両側面と艦尾)と旗を貼りました。





エナメルフラットブラック、フラットブラウン、ジャーマングレーでスミ入れ&ウォッシングして完成。





峯風シリーズは特徴的で組んでて楽しい・・・





12cm単装砲塔は6個付属のうち2個しか使わないので、これ先に組んでおけば前回のハセガワ睦月の時に流用できたなぁ・・・(後の祭



各部を観察。建造当時流行っていた機雷戦に対応のスプーン型艦首と短船首楼上の甲板後端に45口径三年式12cm単装砲。その後方ウェルデッキに六年式53cm連装魚雷発射管が・・・ありません。おそらく爆雷装備で重くなった分の軽量化のためだと思うのですが、1・3番魚雷発射管は撤去されています。艦橋は睦月型で行われたような密閉型への改装はされておらず、オープントップの羅針艦橋に幌屋根を被せたもののまま。艦橋左右の6.5mm機銃が置かれていた段は前方へ延長されて左右と繋がり、2基の九六式25mm連装機銃が設置されています。マスト前面に13号電探が設置されているのも確認できます。



艦中央部。煙突は前後とも頂部が延長されて特型駆逐艦などと似た形に変更されています。2本の煙突の間の台には2番砲塔がありましたが25mm連装機銃に置き換えられています。



2番煙突の後ろには3番砲塔、その後ろに2番魚雷発射管、探照灯&マストと続き、3番魚雷発射管跡地、左右舷に25mm単装機銃、4番砲塔に代わって25mm連装機銃。この辺りの配置は峯風型でも12番艦までと13番〜15番艦とで並びが違い、13番艦の野風以降3隻は神風型と同様に連装魚雷発射管が2つ並びその後方にマストの前後に3・4番砲塔という配置に変わっています。



右舷に回り艦尾。艦尾に2条あった機雷投下軌条に代わって爆雷投下軌条が2条設置され、その前方に爆雷投射機(Y砲)と爆雷装填台が3セット並んで設置されています。その左右舷には25mm単装機銃も置かれており、砲と魚雷が削減され機銃と爆雷が多く増備されているのが見てとれます。このほか93式水中聴音機などが装備されており、対空・対潜に振った装備に変更されています。



太平洋戦争終盤頃の装備だとどの艦も短艇類は搭載数が減っています。



峯風型駆逐艦は太平洋戦争開戦時には老朽艦であったものの需要はあったため廃艦するのを取りやめてそのまま内地での運用や後方での船団護衛などの担い手として、あるいは改装されて高速兵員輸送船や有人魚雷「回天」搭載艦となったりして現役が続行され、これもまた多くが戦没していますが、他の艦型に比べると終戦まで生き残った艦4隻と多い方でしょうか。



次型である神風型駆逐艦の疾風(はやて)と。



神風型は峯風型の13番艦以降(野風型、峯風改型とも)と同様のレイアウトで、装備がマイナーチェンジされた程度の違い。魚雷発射管が見た目は同じですが六年式から一〇年式に変更され、復元性改善のため船体が僅かに大型化しています。疾風を含む神風型後期型では機関の変更による低重心化や機銃が三年式6.5mm機銃が留式7.7mm機銃に置き換わるなどの変更が更にされています。



艦中央部は配置の変更により結構違って見えます。この疾風は開戦時の仕様なので装備は大戦末期の仕様である夕風の方が近代化されています。



艦後半も然り。



左から夕風(峯風型)、疾風(神風型)、長月(睦月型)。並ぶとやはり睦月型の本気度が高く、実際睦月型は第一線で戦い全艦が戦没しています。



旧型駆逐艦も中々良いもんでしょ。ちょっと面倒が多いキットもありますが、初心者でも気合い次第で割と何とかなるんじゃないでしょうか。興味があったら腕前にかかわらず是非手を出してみていただきたい。